こんにちは、
WACCA MUSIC SCHOOLの万里紗です。
ふと、とある作品のお稽古で、1ヶ月半の稽古期間のうち半分ちかくを「雑談」に費やした、ということがあったのを思い出しました。
またレッスンの中でも、実際にセリフを言ってみる時間より「話」をしている時間の方が多くなることがあります。
まるで、ちゃんと「お稽古」していないみたい…
でも、もしかするとこの時間。
作品を「身体化」するにおいて、非常に重要なプロセスかもしれません。
何を「話す」のか
レッスンの中でする「話」には、およそ3種類あります。
1)このシーンで、自分の演じる役は何を達成しようとしているのか
2)このシーンの直前まで、自分の演じる役は何をしていたか
3)このシーンが始まる瞬間において役が置かれている状況はどんなものか、またそれを私たちの体感に置き換えるとどんな状況に値するか
どうやらただの雑談ではないようです(笑)
台本から上記の点を洗い出し、議論をするという時間を取ります。
台本にはセリフが記載されています。
しかしそれらは、何か、発すべき音色のようなものではなくて、やり取りの軌跡です。
やり取りの背景には必ず役が背負っている状況があります。
この状況は、台詞で説明しなければならないものではないし、それを説明するのが演技というわけでもありませんが、役として舞台上で生きるためには、俳優が絶対把握しておくべき情報です。
またそれは情報として把握するだけでなく、演じる際には「我がこと」まで落とし込む必要があります。
それができると、実は台詞の言い方なんて、ある意味では「なんでもいい」ものさえあるのです。
言語化に向かうプロセス
では何を、どうすればいいのか。
まず第一に重要なのは、台本を一行一行ゆっくり読むことです。
次に、ト書きや、台詞のやりとり、そして行間からそれらを読み取り、把握し、理解すること。
例えば『ミュージカル桃太郎』なるものがあったとして、そこに主人公の桃太郎が桃から生まれるシーンがあったとします。
台本上、桃太郎自身の「僕は、桃から生まれたせいで人と違って苦しいんだ…」という台詞がなかったとしても、
「彼は桃から生まれる」というト書きの一行を読み飛ばしさえしなければ、
彼がとある日本の村という狭いコミュニティの中ではマイノリティである、ということが汲み取れます。
これ、桃太郎を例に出したせいで「そんなのすぐわかるでしょ」と思われかねませんが、他の作品だと意外とこういう小さな、でも大事な情報、読み落としてしまうことがあるんです。
次に必要なのは、それらを細部まで想像し、身体に落とし込むこと。
桃から生まれたということが、桃太郎の自意識形成にどんな影響をもたらしてきたか。
今まで、自分を拾ってくれたおばあさんやおじいさんと、どんな言葉が交わされてきたか。
桃太郎は、鏡を見る度にどんなことを思ったのか。
できるだけ戯曲に忠実に、戯曲に書かれていることに根差しながら、想像をたくましく、豊かにしていきます。
想像が暴走して戯曲から逸脱してしまうと、戯曲のドラマを表現することができないので、このプロセスでもできるだけ戯曲に描かれた役の行動に頼りながら想像を膨らましていきます。
例えば、桃太郎が桃から生まれたことを苦にして鬱になった・・・という設定を考えてしまうと、その桃太郎は鬼ヶ島に行こう、という気力がなかなか湧いてこないかもしれません。
でも例えば、村のコミュニティからはいつも除け者にされてきたけど、おばあさんとおじいさんだけは自分に寄り添ってくれた。
村の人たちを救うことで、この優しいおばあさんとおじいさんに恩返ししたいと考えた…という設定で想像したら、複雑な内面性を持ちながらも行動的な桃太郎が造形できます。
また逆に、「鬱になった」桃太郎として想像したとしても、何か予想だにしない出来事が起きた設定にすれば成立するかもしれません。
例えば、鬼の一味に住んでいた家ごと破壊され、大事なおじいさんおばあさんが誘拐されてしまった・・・とか。
ここまで想像したら、ではそれが自分に置き換えたらどんな質感の体験だろう?どんな状況だろう?というところまで考えます。
桃から生まれた人間の体感を直接知ることはできませんが、例えば、家族の中で自分だけ戸籍がなかったら?とか。
はっきりした言葉に精製し、自分に暗示をかける?!
これらのプロセスすべてにおいて重要なのが、
「言葉」なのです。
お稽古やオーディションで台本を渡された時私たちは、「どうやって、どんな音色でこのセリフを言うか」ということにどうしても意識が行ってしまいます。
でも実は、その「言い方」「音色」には何千通りと正解があります。
そして、もしかしたらそれは毎回変わるものでさえあるかもしれません。
ところが、こうやって具体的に膨らました想像は決して揺らぐことがありません。
しかもそれをより細かく、より具体的にしていけばいくほど、確固たる屋台骨となって私達俳優の体の中に沁み込んでいきます。
そこで活用できるのが、私達が日頃使っている「言葉」です。
「なんとな~く、こういう感じかな?」では片づけない。
一人の頭だけで考えているとどうしてもそれくらいぼんやりした者でも許容してしまいがちですが、誰かと話し合っている状況なら「こうだ」というところまで具体化しないと言えない。
だから、「具体的に、●●である」という、自分が確信を持てるところまで検証する。
そしてそれを、言葉にして誰かに伝える。
レッスンの中で、そうやって口にして話し合い検証することで、想像もより細かく、立体的になっていきます。
そして言葉にすることで、まるで暗示のように(?!)自分の体感にも落とし込んでいくことができるのです。
このプロセスは、もし自分一人の時間でやるのであれば、ノートに、まるで日記のようにどんどん書きだすのがおすすめです。
もちろん、携帯のメモに入力してもいいのですが、やはり手を動かした方が、頭も心も一緒にその状況を体感でき、俳優の血肉となるはずです。
とっても細かくて、地味な作業です。誰の目に触れることもないかもしれません。
でも、時間をかけて、明確な言葉にすること、そのために台本と、そして自分自身と向き合った時間は、舞台空間に「ただ立つ」ときの、強力な味方になってくれるはずですよ。